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Invisible Rainbow 1 Prologue

Invisible Rainbow

A History of Electricity and Life

by Arthur Firstenberg

 

電気や電磁波と病気との関連性を追求している素晴らしい書籍なのだが、

翻訳している人はいないようなので、(実はいるのかも)

いっそ自分でやってみるかと一念発起したのである。人生初翻訳なため稚拙なところも多々あるはずだが職業翻訳家でないので気楽にやらせてもらう。

 

Prologue

 

昔々のこと、嵐のあとに現れる虹の色はこの世にあるすべての色を代表していた。

この地球はそのようにデザインされていたのだ。

空気の毛布が我らの頭上にあり、そ

れが宇宙から降り注ぐX線やγ線と一緒に紫外線をも吸収している。

無線通信に使われる長い波長のほとんどは存在していなかった。

いやそれらは極微小にに存在していたのかもしれない。

それらは太陽や星々からやってきていたが、

空から降り注ぐ光のエネルギーの何十兆分の一程度の弱さだった。

あまりにも弱くて見ることができないため、

生命はその波長を認識するための器官を発達させることはなかったのだ。

 

落雷などによって生まれる低周波パルスのようなさらに長い波長も同様に見ることはできない。

雷が光るときその低周波は一瞬で空間を満たすがそれは一瞬でほとんどが消失する。

その残響は世界を駆け巡るのだが、

それは太陽光の100億分の一のエネルギーしかないため

我々はその低周波パルスを認識する器官を進化させることはなかった。

 

だが我々の肉体はそれらが存在していることを知っているのだ。

我らの細胞が無線周波数帯域でささやいているエネルギーは極微小であるが

生命にとって必要なものなのだ。

我らの思考や行動が我らを低周波パルスで包み、

そしてその低周波パルスは生命にとって必要なものであると1875年にはじめて検出されたのだ。

今日我らが使っている電気、すなわち電線や無線で送っているものは

1700年代ごろには深く研究されていなかったものの認識はされていた。

科学者が電気を取り出し無機物を動かすことを学ぶのはずっと後のこととなった。

そして電気は見ることができないため、

生命に対する影響は無視し続けられていった。

今日我らを包む電気は全ての色において、

そして強さにおいて太陽光のエネルギーに匹敵するようになった。

しかし我らはいまだにそれを見ることはできないでいる。

なぜならそれらは生命の誕生のときに存在していなかったからである。

 

現在我々は数々の重い病と共に生きている。

それらはもともと存在しておらず、起源もわからず、

我らはその存在を当たり前に思い疑問に思うこともしていない。

病のない健康な状態のときの感覚は今や完全に忘れ去られてしまった。

 

不安障害(anxiety disorder)、それは全人類の1/6を悩ませているのだが、

これは1860年代まで存在していなかった。電報用の電線が地球上に初めて張り巡らされたときまで、である。医学論文で触れられるようになったのは1866年のことであった。

 

現在認識されているインフルエンザは1889年に交流電流とともに発明された。

インフルエンザはまるで友人のように常に我らと共にあり、

あまりにも馴染みがあり過ぎるため、そうではなかったということを忘れ去ってしまったのだ。

1889年の大流行以前には医者の多くはインフルエンザを診たことがなかったのである。

 

1860年以前には糖尿病はあまりにも稀であり、医者がその人生の中で糖尿病患者をみるのは1,2回程度であった。だがこの病気も特徴が変化している。いぜんは骨の様にやせ細った人がかかり、肥満体形の人は決してかからない病気であった。

 

当時の心疾患は25番目くらいに良く起こる病気で、溺水の次に良く起こっていた。それは幼児と老人がかかる病気で他の年代がかかることは非常に稀であった。

 

がんも同様で、たばこでさえも肺がんを引き起こすことはなかった。

 

これらは文明病であり、我ら以外の動植物をも苦しめている。

その病の原因は我らを包むその力(force)がなんであるかを認識することを拒絶したことによるのだ。

家庭用の60ヘルツ電流、コンピュータが発する超音波、テレビが発する無線周波、携帯電話のマイクロ波、これらは我らの血管を流れ、我らを生かしている見えない虹に対する歪みにほかならない。

だが我らは忘れてしまっているのだ。

 

今が思い出す時である。